colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

colnyagoとは

このブログの名称に使っている colnyago は、私の作った造語だ。意味はない。

私は通勤にロードバイクを使っている。自宅から大学までほとんど平坦な道で片道約10km、往復20 km程度なので、汗はかくけども、あまり疲れない。

以前住んでいたところでは、山越え2つだったので、かなりの運動量減と自覚している。

今乗っているのは、specializedというアメリカの自転車メーカーのアルミフレームバイクである。なぜこれに乗っているのかというと、購入時に相談した店員のお勧めであったからだ。勧められるがままに購入したが、結果的に、今でも間違いではなかったと思っている。

 

 

まず、1)クセがなく、乗りやすいこと、2)プロ選手も使っている、信頼のあるメーカー製であること、3)あまり街で他人が乗っているのを見かけないこと、などいくつか理由がある。

乗り始めたきっかけは、長男が生まれ、ちゃんと子供が大きくなるまで健康に生活できるようにと、一念発起して自転車通勤にしたことである。

乗り始めてから約8年。雨の日は乗れないが、晴れの日は基本は乗っている。

生活習慣病の予防は、適度な運動と食事である。もちろん遺伝的な体質は関係するが、かなりの割合で防ぐことができる。ちなみに、これは私の研究テーマの一つなのである。ガンも生活習慣病の一つだ。日々実感し実践している。

さて、ここまでくれば、colnyago という単語に自転車好きの方ならピンと来るだろう。

そう、有名なイタリアの自転車メーカーである colnago に、当時うちにいた愛猫をもじって、colnyago にしたのだ。

毎日、無心で一漕ぎ一漕ぎする。いわば心のリセット機能もある。

運動と心の健康との関係は、古くから関心が持たれている。古典的な論文はこちら

都心では、排気ガスが充満している中を、毎日ランニングしている人たちがいる。肺が汚くなるだろうと、心の中でツッコミを入れているが、おそらくこれらの人たちは、無意識のうちに、現代社会のストレスから逃れるため、あるいは心の平静を保つために運動していると思われる。

体が欲した結果としての行動なのだ。心が行動を決めているのではなく、体の内外の情報が脳に集約された、その結果なのである。我々が思っているほど意識は、行動を規定しているわけではないのではないか。実は、行動のほとんどは無意識のうちに計画が立てられ、最終的な自己確認として意識があると思っている。意識は結果なのだ。

都会生活者は精神的に疲れやすい。現に、私は超田舎出身者で、ゴールデンウイークに実家に帰省したが、誰かがランニングしている姿をついぞ見なかった。田舎は田舎で、隣り近所づきあいが濃いが、それが人としての生活なのである。人は人の中で生きなくてはいけない。都会では、極端な話、隣に誰が住んでいるのかもわからない。周りに人はいっぱいいるのに、ほとんど話さず実質的に隔離されている。これ、実験動物では隔離ストレスといわれる状況に近い。

いろんな意味で、都会化は、便利な反面、ヒトの生物としての特性を考えると、自分たちで自分自身をダメにしてしまっているところがある。

そう考えると、私もやはりストレスを受けているのだろう。ストレス耐性は高いと自負していたのだが。

自転車に乗ってから、確実に心身の健康は良いと言える。