colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

「適当」の本当の意味

 私は大学で生物実験系の研究室を主宰しており、卒業研究の指導も行う。学部学生は、実験を始めたばかりなので、ピペットの持ち方やガラス器具の洗い方など、ごく基本的なことから教える必要がある。

 器具の使い方が身につけば、いよいよ実験テーマに取り掛かる。実際に実験を始めた頃、学生たちは、実験の方法に忠実に一言一句よく守る。ある程度経験してくると、どこが気をつけないといけない部分で、どこが気を抜いてもいい部分かのさじ加減がわかってくる。真面目にやっても、およそ1〜2年くらいかかると思う。だから、理系の実験系は修士過程まで進んで初めて使い物になるのだと思う。

 学部学生の頃は、いわゆる生物実験の「さじ加減」がまだわからない。この時、学生に実験について質問された時、私はよく「適当に•••をやっといて」と、言ってしまう。この「適当」、文字通りの意味ならば、アバウトで、厳密性がないように感じてしまう。しかし、この場合の「適当」は、「その場や条件に合った内容で」という意味で使っているのだ。

 博士後期課程の大学院生に、「それは、適当にやれば問題ない」とある実験場面で言えば、ほぼ意思疎通できており、こちらが想像するように実験を行うことができる。しかし、学部学生にそう言うと、意思疎通できていないため、その実験場面ではあり得ないことをしてしまう。

 生物系の実験において、「適当に実験しておいて」の本当の意味は、その場や状況において、基本に忠実に実験しておいて、と言うことなのである。