colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

時間は有限であることを自覚する

小学生や中学生の頃、時間は無限であった。毎日、授業を受け、放課後はクラブ活動、運動場で遊ぶ、友人宅に行って遊ぶ、川で遊ぶ、宿題をする、好きなテレビを見る、漫画を読む、など本当にその時々に勝手気ままに過ごしてきた。これは時間は無限だと感じていたことが大きな原因だと思う。

しかしながら、高校入学あたりから、先のことを考えるようになる。進学校にいたせいもあり、担任や進路指導部から大学についての話があったり、1年の頃から親を交えた三者面談などで大学進学を意識させられた。私自身は、全くノーテンキに考えていたように感じるのだが、無意識のうちにそれらのことは刷り込まれていたのだと思う。そのせいで、その頃から人生のことを考えるようになった。

自分は何をしたいのか?、自分の能力はどんな特徴があるのか?、その能力を最大限活かすにはどんな職業が向いているのか? これら答えのない問題について、通学のバスの中などで自問自答していたことを思い出す。

私自身、小学校高学年時に、将来は生物研究をやりたい、と夢見ていた。それも、生態学だ。その頃夢中で見たテレビ番組が、「野生の王国」だ。ほとんど全編が野生動物の録画で、ある動物がとった行動に対して、ナレーションや解説は入るが、全く人はでてこない。そこが良かった。臨場感たっぷりの30分だった。また、解説に増井光子女史がでているときは秀逸であった。この番組に影響され、勝手に将来はアフリカや南米で野生の動物の生態を研究する、と心に決めていたのだ。

その後、中学の時に、教育実習の理科の先生と仲良くなり、休み時間に現在やっている卒業研究について色々聞いた。当時、その先生(といっても大学4年生)は、大学でバイオテクノロジーによって植物の生産性を上げる研究をされており、具体的なことを教えてくれた。今でも覚えているが、その話を聞いた時、雷に打たれたような衝撃を受けた。ちょうど、ガラスの仮面で、北島マヤがヘレンケラーの演技を会得した時、「ウォ、ウォ、ウォー、ウォーター!!!」と絶叫した感じ(実際には絶叫していませんが)。この時期以降、生態学からバイテクへと興味が移る。

時を同じくして、筑波で科学万博が開かれた。これに行かずしてどこへ行く!!、と3月の開幕前から、私は家族を説得し、夏休みを利用し家族共々万博へ行ったのだ。京都から筑波まで、父の運転で(父よ、感謝しております)。そこでまた、忘れることのできないものに出会うのである。ポマトである。どこのバビリオンか忘れたが、根っこはジャガイモ、茎から上はトマト、という人工植物を展示していた。思わず、「俺が求めてたんは、これやん!、コレコレ!!」となったのである。しかし、今考えると、少し流行りに流されていたようにも感じる。

高校に入ってからも、またも興味は変わっていく。高2ごろから哲学書にハマり、心や脳に興味を抱くようになる。ここに至ってようやく流行りに流されず、自分は脳がやりたいのだと思うようになった。自意識や記憶などが対象であった(現在、どっぷり脳研究に勤しんでいる)。

そして、興味をとことんまで突き詰めることができるよう大学に入ったのだった。しかしながら、大学時代にある程度勉強したと思っていたが、卒業研究はもとより、大学院に入ると自分が全く通用しないことがわかり始める。よく言われる、「ぬり絵」と「レゴ」のたとえである。

小学校から大学3年生までの勉強は「ぬり絵」型だ。要は、もともと正解(絵)があり、正解を導き出す考え方(塗り方)を学ばされる(大学は正解を教えるところじゃない。あくまで、考え方であるし、それが正しいと思う)。それに対して、卒業研究以降、修士以上の研究は、「レゴ」型た。これらは、新しい知識を発見していく過程である。知識の断片(各ピース)を組み合わせることで、新しい価値や考え方を創造する。あるいは自然現象を最も正しく理解できるように知識の断片を組み合わせていくのだ。これらの作業に際限はない。さらに、はじめに正解はなく、毎日の試行錯誤によって作業を進めてある程度の解答を得ていくが、遅々として進まないし、場合によっては後ろに下がることもある。進みたいが進めないというジレンマに陥る。これに耐えられない人、あるいは面白みを感じない人は、研究に向いていない。

院生時代、このような生活をしていると、時間の経ち方が一般と違ってくる。季節性を感じなくなるのだ。盆暮れ正月も、実家に帰らない、夏休み、冬休みもほぼなくなる。親兄弟たち、友人らにそっぽを向かれようとも、本当に、実験することが楽しくなると、研究者はほぼ皆、こういう風になってしまうのである。さすがに、結婚し、子供ができるとこうも行かなくなるが。

そしてようやく本題に入るが、40代に入ると、ますます時間のことを考えるようになった。1日何時間を研究に費やすことができるのか、1年では、10年では、とこういう風に先を見てしまう。だいたい標準的な論文を1本書くのに必要なデータ取りの時間を考えると、引退までにあとだいたい何本原著論文を書けるか、ということまで計算してしまう。それらの論文を大局的に俯瞰したときに、何か価値あることが言えるようになってほしいという願いがある。ある意味心の病気なのだが、残された時間を有効活用するには、逆算は必ず必要だ。やはり本質的な問題に取り組みたい、というのが本音なのである。

若い時から逆算していれば、もっと生産性は上がったのかもしれないが、それは無理というものだと思うし、却ってよくないかもしれない。いらんこと、関係ないことをやったり知ったりしたからこそ、今がある、という気がする。おそらく10代から一つのことだけに興味を持ち、それだけを実践してきてもダメになる可能性の方が高いと思う。世の中の物事は、一見全く関係ないように思っても、見えないところでしっかりと手を結び合っている。巨大な円環構造の中で、必死になって、どこが始まりでどこが終わりだろうかと探している自分を感じる。色々な切り口を知っている方が、全体像(どことどこがつながっているのか)は見えやすいのではないかと思う。それは色々な学問分野内での階梯でも当てはまることだろう。