colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

スポーツと教育の相関性

 本日の日経新聞の記事を読んで、思わず大学とスポーツの置かれた環境は良く似ていると感じた。

 記事は、FIFAコンサルタントの杉原氏の文章で、タイトルは「

代表強化のその先へ リーグ間競争に生き残るには (写真=共同) :日本経済新聞

」だ。記事を要約すると以下のようなものになる。

 Jリーグができた頃、ほぼJリーグ選抜=日本代表、であった。しかし最近は、Jリーグであまり実績がない若手選手が青田買いされている。昔はリーグを強化すれば、実質的に日本代表の強化に直接繋がっていたが、今は、代表の強化を海外リーグが請負い、Jリーグはそのようなリーグあるいはチームへ選手を供給する側へと変化している。Jリーグも、この流れに対応していかなければいけない。

 この問題は、そっくりそのまま教育(大学)にも当てはめることができると感じる。

 義務教育に関して、グローバル化による自由競争はない。とりあえず、将来的にも留保するとある(ここを自由化したら最後でしょう)。大学を含めた高等教育は、すでに自由競争の元にあると思う。有名進学高の卒業生のうち、少なからずの割合が、海外の有名大学に直接入学している事実がある。これまでは、大学あるいは大学院を修了後に、海外留学という形がほとんどであったが、かなり形態が異なってきていることに気づく。要は、彼らにとって、日本の大学は好ましいと映っていないのである。慧眼ですね。

 先のJリーグを例にとると、Jリーグが世界トップレベルであれば、若手選手の流出は少ないことと同義となる。現状そうではなく、Jリーグがトップレベルではないからこそ、強国のリーグへと選手が買われていく、あるいは、若い選手が自主的により強いリーグへと参戦していく状況にある。そうなると、Jリーグには、まずはアジアの中でトップになることを目指し、さらに世界と伍していくことが求められる。大変難しいと思うが、神戸がバルサ化を目指して実際にかなりお金をかけていることは重要だ。今、神戸の取り組みは成功していないが、将来的にこういうチームが多数出て、強化もうまくいったらリーグの魅力は上がるだろうし、世界の中でもたとえ予算規模は違っても認知されるリーグになるに違いない。

 ひるがえって、大学教育はというと、現状あまりよろしくない。国立大学はご存知の通り、運営費交付金が減じられており、正直なところ、地方大では研究どころの話ではなくなってきている。旧帝大の研究レベルも長期凋落傾向にあるだろう。私大助成も減額されてきており、おしなべて日本の大学の研究レベルが低下してきていることは、昨今のメディアの報道にもある通りである。アジアの各国を含めても、世界の国々が研究にかける予算は上昇しているが、一方の日本は、総額として10年前くらいから維持しかしていない。これでは相対的な研究における地位が低下してしまうのも無理はない。もちろん、お金だけが重要なことではないことは重々承知している。しかし、やはりアイデアをいざ現実化しようとすると、先立つものがないと前に進めないのである。昔は、運営費交付金があったので、それでなんとかなった実験もかなりあったが、今ではそれは無理だ。そのような小さいこと(本当はかなり大きい)が積み重なって、いまに至る。日本の研究の多様性は正直なところ、根こそぎやられていると思う。こうなってくると、研究や教育というより、もっと根本的な日本文化の形成や発展にも影響が出るだろう。全くもってよくない。

 どこかに、ヴィッセル神戸楽天みたいなスポンサーがいて、研究に使ってくださいと研究費をくれないものか。本当は、政治主導でやらないといけないことなのだがな。未来にお金をかけたほうがいい。未来は、ヒトの育成と文化を下支えする研究の充実にかかっている。