colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

ポスドク問題と大学

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ポスドク問題、いわゆる博士を取得したのち、有期雇用の形態でしばらく研究をしている人たちの就職問題のことだ。

1996年から、政府がポスドク1万人計画を始めた。当然、そのぶんの就職受け口対策が次の計画にあると思うのだが、次が無かったのだな。そして、それが今に至っている。

それに付け加えて、国立大学の法人化とそれに伴う、運営交付金の減額により、ますます大学教員への就職は減るいっぽう。

また、国立大の教員として採用されたとしても、最初は期限付き(1年更新の3年くらいまで)でしかも、給与は恐ろしく低い。

これじゃあ、学生は来ない。

才能は、やってみないと発見できない。現状では、博士課程でやってみようと思う学生人口が減っているのだから、当然次世代の才能は減少するばかりなのだ。確率の問題になるので、ある程度の人数が最初にいないといけない。

さらに、教員の研究時間が減少している。

これでは、院生の教育にかける時間もない。ほったらかしは、関西某国立のK大の良い点でもあったが(もちろんちゃんとしているところもたくさんある)、ドロップアウトする学生も大量にいた。やはり、それなりに面倒は見なくてはいけない。

しかし、教員の余裕もなし、院生人口も減少、そしてそのスパイラルにまだ底が見えないときている。

教員の研究時間を増やすと(本当は研究費も増やして欲しいが)、研究内容が深まる。楽しそうに研究をする先生たちを見て、学生も興味を持ち進学する、という流れができる。

お金だけ増やしても、実はダメなんだな。

まず教員の負担を減少させること、安定的な研究費(非競争的で人件費にも使える)をつけること、出口対策を行うこと、この3つはセットだ。

教員の研究時間を増やすには、政府や文科省が大学に対していろんなしがらみを撤廃すること、これしかない。

大学での講義や学生実験を半期15回の回数をきっちりやろうが、昔のように12回やろうが、あまり差はない。講義の質の担保など、4年の卒業研究、修士博士の研究と比べてたら、正直なところ、5%程度の意味しかない。

学習ピラミッドが理論的裏付けとなる。学習ピラミッドの内容をちゃんと見て欲しい。

ja.wikipedia.org修士や博士で、後輩に実験やデータ解析を教えたり、教員とディスカッションする方がどれだけ大切なことか大変明瞭だ。

やはり、大学教育の真髄は、研究をとおした教育にある。

研究なくして教育はなし。カール・ヤスパースの大学の理念が大変重要だろう。

すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる。

実務的な教育は、やらない方がいい(実務家教員もほとんどいらない。学問的に役立たずしかいない)。

この20年ほどの大学改革は、改悪しかない。早く気ずいて欲しい。