colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

科学 ≠ 科学技術

 科学研究の領域で、出口が求められて久しい。

 出口とは、応用のことで、ある発見•知見を「人が使える技術」にまで昇華させることだ。特に、生命科学の分野では、科研費などの競争的資金の申請書にも出口が必要とされるようになってきた。

 私は「科学」と「技術」は分けるべきであると思っている。本来相入れないものと考えている。

 科学は、ピュアで繊細だ。元々人が持っている知的好奇心から発するものだ。なんでこんなになってるのだろうか?、という単純で他意のない問いから始まる。生物や生命を観察させてもらい、その結果存在するものになる。応用ありきではないのだ。そこに、応用を持ち込んだ途端に、科学は科学で無くなり、技術の一部となるのだ。

 一方、技術は人に役立てるためのものであるため、知的好奇心など含むべくもない。いや、好奇心などいらないのだ。役に立つか立たないか、その一点のみに集中される。治るか治らないか、効くか効かないかに集約される医学、薬学、農学、工学などなど、これらの領域はどこまでいっても技術なのだ。技術のための基礎知識(科学)を欲しているに過ぎない。科学技術は、科学ではなく技術の領域にある。

 だから、科学と技術は可分と考えている。

 現在、政府は科学技術を推し進めようとしている。出口を求めると、上の理由により科学は死ぬ。科学は、すべての技術のベースだ。当然ながら、技術にならない科学も存在するし、逆に技術と大変親和性の高い科学も存在する。科学から技術への方向性が保たれる場合、何も問題はないと思う。しかし、技術のための科学は大変いびつで危険だと感じる。