colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

4月7日産経抄より

昨今、スマホタブレットが学習にも利用されている。確かに便利だし、ほとんどの中高生が持っていることを考えると、これを活用しない手はない。

しかしながら、これらを使っただけで、本当の学力、あるいはその人を一生支える基盤を形成できるのかは、甚だ疑わしい、という内容だ。

これには同意する。

ある程度の学力がすでにあり、それまでの勉強内容の復習を兼ねて、正誤問題を解くなら問題はないと思う。しかし、本当に何も知らないところから、スマホタブレットだけでやるのはマズイ。

要は、教科書をよく読みそれらを自分なりにノートにまとめるという昔ながらの勉強法と、便利なスマホタブレットの勉強法をうまくミックスさせていく、ということになる。

勉強しても、その内容を脳が保存するためには時間がかかる。この時間はスマホタブレットを使ってもどうしても短縮できない。また、初期内容の保存がかなり大事だと私は考えている。まず教科書をよく読む、先生の授業をよく聞く、それらを総合してエッセンスをまとめてノートに仕上げる、この「読む、聞く、書く」の3要素は入っていた方がいい。それぞれ脳の違う部分が主に担当しているのだ。脳をフル活動して、初期内容を保存する。そうすれば、一生読み出しのできる記憶となるのではないかと思うのだ。急がば回れ、昔のやり方にもいいことはたくさんある。