colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

実験することと書くこと

研究者の仕事をイメージすると、研究室で「実験する」が最も多いかと思う。
 
確かに、学部の卒業研究や大学院生の研究は、そのイメージに近く、毎日研究室に来て何か手を動かしている。その後、学位を取り、ポスドクともなれば、基本はその研究室の仕事に没頭するために、より「実験する」こととなる。同時に、ポスドクはプロの研究者であるため(その研究室あるいは大学から賃金が支払われている。つまり、研究する対価としてお金を得ている)、得たデータを論文として世に出さなければ、研究者として続けることができなくなる。よく言われる、”Publish or Perish”だ。
 
このことから、研究者として、「実験する」ことと同じくらい「書くこと」が重要であることがわかる。いわば、車の両輪だ。しかし、ここに一つの落とし穴があると思う。小さい頃から科学者になることが夢で、それが叶い大学や研究所で実験することは得意だし嬉しいけど、結果を論文にすることは不得意、というヒトは多いと思う。意外と苦労する。私もそうで、もっと論文を書くことは簡単だと思っていた。
 
論文を書くためには、1)資料収集(過去の文献)と読み込み、2)データ解析とグラフ化、3)1と2から論文の最終ストーリーを決定、4)執筆と推敲、という大まかなステップを踏まないといけない。当然、この作業の前にも資料を読み込み、仮説あるいはテーマを立ててまず何をどういう手法で明らかにするのか考える必要はある。これは下のように1セットとなっている。
 
(仮説を立てる)>(実験する)>(論文を書く)
 
この3段階をこなせるようになって初めて研究者になれる。しかし、最後の「論文を書く」が難敵なのだ。そもそも、英文執筆(このブログでは英文論文を考えている)という時点で、眉間にシワが寄ってしまう。英米に比べ、日本に生まれた時点で不利だ。そうはいっても、誰も代わりに論文を書いてくれるわけでもなく、暇を作って粛々と進めないといけない。
 
気をつけることは、基本的な文法(5文型、現在ー現在進行ー過去ー過去完了など)、文章の繋がり、1つのパラグラフの構成、パラグラフごとの繋がりなどだ。これをストーリーに沿ってシンプルに仕上げていく。これらは和文論文にも当てはまる。
 
また、研究者の重要な仕事に、研究費を稼ぐこともあげられる。いわゆる外部資金(文科省科研費、厚労科研、財団の研究費など)。これらの申請書に書いた研究提案が採択されるためには、研究実績もさることながら、やはり内容について納得してもらえる文章力がいる。
 
実は、現在、いくつかの研究や研究費申請、論文執筆、海外雑誌からの取材のための書類作成に追われていてストレスが溜まっている。さらに論文を書くと、足りないデータが明らかになり追加実験をしようと思うができないというストレスも輪を掛ける。そんなこんなでストレス発散のためにこのブログを書いてしまった。