colnyago’s diary

勝手気ままに書き散らかしたものです

すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる

タイトルにある「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」は、慶應義塾大学第7代塾長であった小泉信三の言葉である。

私は授業で、この言葉をそのまま借りて言うこともある。私が担当する授業は、人体メインの生物基礎である。学部の1、2回生にとっては、何でヒトの体をこんな細かく勉強せなあかんねん、だと思う。

ある学生は、授業後、あまりの専門用語の多さのため、「解剖学者を恨みます」、と言ってきた。たいへん素直な感想だと思う。

しかし、この授業をちゃんとやりきってこそ、2回後期から3回まで続く臨床などより専門の授業の理解に大いに役立つのだ。ヒトというコインの表裏=健常と病、ということになる。健常があり、そのバランスを崩した時に何らかの病を患うことになる。だからこそ、基準となる健康状態である時の構造と機能をしっかりと押さえておくことは、病をより深く理解することにつながる。

さらに、これが重要なのだが、単位を取るということではなく、大学で受ける基本となる学問は、長いことその人にとって役立つのだ。おそらく一生使えると思う。

例えば、私の担当講義ならば、4回生を終え、さらに進学しようが、就職しようが、はたまた結婚して家庭に入ろうが、ヒトの健康がきちんとわかっていれば、それぞれの人生で役立つことは目に見えているではないか!

家庭に入ったとしても、自分のパートナー、あるいは子供達、周りの人たちの何気ない健康の変化に気付くことができよう。病の早期発見である。また、多くの病は、生活習慣が原因となることが多い(遺伝性疾患は別として)。ガンですら、適切な食事と運動で、かなり予防できることがわかっているのだ。病気の予防にも役立つではないか。

進学する場合でも、科学は日進月歩、最先端はすぐに追い越していく(いや、先端にいたことがないので追い越されたことはないが、これは例え)。こんな時でも、正しい基礎力があれば、さらに新しい知識をきちんと身につけ、自らいろんなことを研究開発していくことができるのだ。そのような力を身につけることこそが、学生時代4年間に本当に必要なことだと思う。大学生らしい大学生だ(いまどき少ない)。

すぐに役に立たないが、この後ずっと役に立ちつづけるのだ。

裏を返せば、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」ということだ。

実践的なものは、非常に刹那的で、その場、その時代限りのもの、あるいはそういう考え方が多くなる。このようなものは、所変われば役に立たなくなるし、時代とともに廃れるしかないのだ。

学生の多くは、すぐ役に立つことを求めたがるが、残念ながら、それらはすぐに役に立たなくなることを実感するだろう。

今の大学が、かなり世間や企業などにおもねったものに成り下がっているので、大学自体がすぐに役立つことを求められており、ある意味しょうがないところはある。しかし、この様子では、大学もすぐに役立たなくなるだろう(もう役に立たなくなってるかも!?)。

文科省や企業、世間には、”すぐに役に立たないこと”の重要さに気付いて欲しいと思う。

これまでのノーベル賞受賞者の多くが、基礎研究の危機を訴えているが、根は全く同じことだ。